過去に観てお気に入りの作品
「奇跡の海」/ラース.フォン.トリアー監督作品
〈ストーリー〉
プロテスタント信仰が強い、70年代のスコットランドの村が舞台。
ベスは、油田工場で働くヤンと結婚した。彼女は、仕事のために家に戻れない
彼を愛するあまり、早く帰ってくるよう神に祈る。
するとヤンは工場で事故にあい、願い通りに早く戻ってきた。
だが回復しても寝たきりの上に、不能になっていた……。
やがてヤンは、妻を愛する気持ちから他の男と寝るよう勧め、ベスもまた、夫を愛するがゆえに
男たちを誘惑してゆく。全8章、2時間38分からなる、濃密な愛の物語。
とても好きな映画なのだが、余りにヘビー過ぎる内容ゆえに、上映時に映画館で観て以来、
一度も観返すことができないでいる。
監督はかなりエキセントリック、かつ実験的な映像を作ることで知られるデンマークの鬼才、トリアー監督
(ダンサー.イン.ザ.ダーク)。
私は「ダンサー~」より、この映画の方が主人公に共感できる。
この映画は好き嫌いがかなり分かれる内容だと思うが、その分かれ目はまさにベスの生き方を認められるか
られないか。これにかかっているのだが、私はアリだと思った。
余りに彼女の愛が強すぎて、凄すぎて、最後は感動のあまり泣きっぱなし。
監督はこの映画で「bien(仏語:善)」を描きたかった、と言っている。
主人公のベスはこの映画の中では最も強烈に....「善」である。
これは、主人公各々が善を貫こうとした余りに起きる悲劇(とよべるのか?)や葛藤を描いている
ともいえよう。ベスの場合、ほとんど愛と信仰がないまぜになっている。
彼女にとって夫ヤンへの愛を貫く方法を知ることは、色恋沙汰というよりは自分と神の純粋な対話なのだ。
そういう、信仰心に近い領域まで研ぎすまされた愛も、ベスにとっては拷問に近い苦痛を覚えるものであり、
周囲には蔑まれるという道を辿る。
エキセントリックでもあるベスに与えられる過酷な運命はある意味、究極のマゾなプレイという見方も
できるが(トリアー作品で描かれるのはこういうタイプの愛が多い..)、私は彼女なりに幸せだったのだと思う。
自分が信じるところの「真実の愛」というやつを全うできたのだから。
彼女は間違いなく「彼への愛を完遂した」と感じたであろう。
そこのところが、最後に教会の鐘が鳴るシーンで生きてくる。
あの音は間違いなくベスの行動が「善」だったことを神が認めたという救いにつながっている。
実際に観てもらえれば判るが、神が全体を通して存在しているということを表すために、
この映画は8章に分けられ、ロックの名曲(!)をBGMにし、チャプターが挿入されている。
本編の荒く、ハンディカメラで撮影したような映像とは明らかに異なるのだが、
チャプターを観る度に、視点が一度リセットされる効果を生み出している。
全てに明確な意図が感じられる映画だ。
夫であるヤンは、愛し方において非常に「男」だと思う...良くも悪くも。
エゴイスティックな男の身勝手さ、みたいなものが出てると思うなぁ。
彼が、ベスの性愛の鍵を開かなかったら、この物語は成立しなかっただろうな...。
うーん、やっぱり私はプラトニックな純愛って余り現実味がなくって、信用してないかもしれない。